ザ・メニューの考察~タイラーとマーゴ 与える側と奪う側の素敵な関係~

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※この記事は映画「ザ メニュー」をご視聴済みの方向けです。

というわけで作品紹介はすっ飛ばして、ただ考察を書いていこうと思います。

にしても高級料理店は怖いですね、いや本当に、リアルなそういう店も怖いですよ。

ああいう所にいったら、店に支配されてる気持ちになるというか、自由がないというか。

いやそんな店めったに行くことも無いんですけどね?過去に言った時は怖かった。

だからこの映画を見た時に「そりゃ逃げれないよ」と思ったくらい怖い。いやほんと僕みたいな庶民の貧乏人にあれはキツすぎます。

しかも本作は評論家やっちゃってるでしょ、もう料理の文句すら言わせないという恐ろしいよもう。

さらに「ファンボーイ」であるウンチク大好きのタイラーが、シェフのジュリアンに辱めを受けたうえ、なんだかよくわからない耳打ちをされて首を釣ってる

さらにラストに、素直なチーズバーガーを注文したマーゴが助かっている。

この事から、単純に楽しめばいい、つまり考察せずにただ見ていけばいい!という感想を受ける方もいるでしょう。

しかし、思い出してほしいのは、シェフのジュリアンが最初に言った事。

「ただ食べるのではなく、味わってほしい」

これは罪の意識を感じて欲しいという意味でもあるが、この映画はおそらく、視聴者もこの会場に同席しているような状態であるがゆえに、視聴者にも何も考えずに見て欲しいわけではないと感じた。

さらにシェフは、何回も食べに来ている老人が料理の材料をまるで覚えていないのにも怒っている。

つまり、この映画は考えて見てほしいのであって、ただ何も考えずに食べて欲しいわけではない。この映画の中に何が入っているのか、何を自分が見たのか、しっかりと味わう・・・つまるところ、考えて欲しいと言っている。

なんてことを言わなくとも、映画全体からにじみでる「このチープかつディープな世界をお楽しみあれ」かんは、もはや考察系そのもの。

というよりも、もはやこれは芸術家のエゴが丸見えだ。

どうしてこの料理を出したのか?なぜ自分は人をころしてしまうのか?その全てを理解してほしいというか、さぁどうだい凄いの作ったよ!考えて見てね!そして君らに客と同じような罪悪感を共にしてほしいんだよ!という感じ。いやはやこの店が一番厄介ですよ。

それに僕はこの映画のラストで満足はしていない。納得できないことがおおすぎて、チーズバーガーが食べたいというよりも「チーズバーガーみたいなB級SF映画でも見ておけばよかった!」と思ったほど。

つまり、妙にハイターゲット向けの難しい映画を見てしまい、消化しきれないどころか、より空腹感を覚えている。

では、なぜファンボーイのタイラーは首をつったのか?
そして、なぜ彼の料理を拒否し、チーズバーガーを頼んだマーゴが生き残ったのか?

僕もこのイカレた店から脱出するべく、そのあたりだけ、焦点をしぼって自分なりの味わった今回のメニューについて書くことで、満足感を得ようと思います。

ファンボーイのタイラーはシェフにとって愛憎入り交じる存在であった

まず本作ではタイラーという料理のファンボーイがいます。

彼はシェフのジュリアンにたいそうご熱心であり、自らパコジェットを買ったほど、おまけに料理の写真を取りまくり。

さらに彼はシェフが客や自分たち従業員も含めて全員ヤってしまうつもりだとわかっていながら島にやってきたうえに、本来連れてくるはずだった彼女に振られたせいで、マーゴという娼婦を騙してつれてきた。

さらにさらに、ウンチクがひたすら止まらず、料理に使われる材料を突然言い当てたり、ほんらい逃げるはずの場所で逃げなかったり、とにかく笑えるほどメニューの流れを邪魔しまくる。ほんとタイラーが居なかったもっと怖かったのにね。

その結果、可哀想なファンボーイはシェフに厨房に立たされたうえ、客全員の注目を集めさせた上で、下手くそな料理をさせられたうえ、従業員にも「勉強のため見ておけ!」とまで言わせる。

結果、ファンボーイは本来料理が下手なうえに、たいして努力もしていなかったせい、おまけに極度の緊張状態に晒されて「タイラーの駄作」という名の生焼けの羊肉料理を作ってしまう。

そして、駄作を食べたシェフは一言「マズい」

それからタイラーに何事かをささく。

するとタイラーは小さくうなずき、覚悟を決めたかのような顔で「わかりました」と店の奥にひっこみ、首をつる。

こうした流れから「タイラーという通気取りに実際に料理を作らせる辱めをした上で、それを責めてころした」と感じるのが第一印象でしょうし、かなり笑えるところです。

例えば、映画も撮ったことないのに、映画についてクドクド語ってるやつに映画を撮らせて、駄作だね!といって処すという、まぁシネフィルの皆様にとっては最も恥ずかしい処され方ですね。

あとタイラーみたいなオタクは結構いる気がしますよね、僕もあんな感じでペラペラしゃべっちゃうタイプですよ。いい意味でブラックジョークです。

しかし、タイラーの駄作を良く味わってみると、どうにも変な味がする。いやたしかに不味いんですけどね、ただ不味いわけじゃないというか。

かれは確かに厄介なファンボーイであり、シェフのメニューを台無しにした裏切りもの。

けれど彼は至る場面においてシェフに特別扱いをされていた人物だということがにじみでている。

というか、シェフははっきりと言っている

「君は他の客とはちがう、特別な人物なんだ」と

まず第一に、彼は最初からシェフの計画を唯一知っていた客。

それも8ヶ月前まえからシェフはやり取りをしていた。

これからふまえて考えると、彼はシェフと唯一事情を通じ合っている人物であって、彼の計画の賛同者。

である彼が、果たして本当に心の底からイカレたシェフに恨まれていたのでしょうか?

なぜなら、彼を最初からヤろうと思っているなら、ただ他の客とおなじように店に誘えば良いだけ。いや、それすらも必要ない。ただメールで「来い」といえば、彼くらいの人物なら何をおいても絶対に来る。

にもかかわらず、わざわざ彼に計画を洩らしていた。シェフは明らかに彼を特別扱いしており、計画の内容についてもある程度相談しているわけで、心底嫌っている人間とはとても思えない。

おまけに彼に料理をさせて自さつさせるのは計画外のこと。

おそらくタコスの絵に描かれていた通り「普段料理をやたら写真で取る迷惑なグルメ通」の罪で最後に焼きマシュマロで処される予定であり、それはタイラー自身も納得済みであった可能性が高い。

というか、そもそも写真撮影禁止の罪なんてのはフェイクの可能性が高いというか、現在の飲食店のほとんどで許可されている行為だし、それが嫌だっていう飲食店のほうが稀なんですもの。

けれど、あえて店に入った時「この店では撮影は禁止されています」というルールを提示することによって、タイラーの罪をその場にいた客と、我々視聴者に意識付けしたかったダケにすぎないのでは?こいつは厄介なファンボーイで、それゆえにヤられるのだと。それについて、タイラー自身にすら思わせるように。

だいたい、彼は客の中でかなり浮いている。

今回のターゲットのほとんどは富裕層であり、マーゴとタイラーのみが一般人で、そもそもタイラーはこの店に「入れるだけラッキーなんだ!」と言って庶民感を丸出しにしている上、店にきたのもはじめて。

ということは、彼はシェフと連絡を取り合う中で自ら志願した可能性が高い。

おそらく最後のメニューをシェフが死ぬ前に食べたい、食べて死ぬならかまわない!といった具合な願いを聞き入れた可能性が高いわけで、彼はもともとシェフのターゲットには入って無かったかもしれない。

つまり、彼等は心中を納得ずみで行おうとした間柄でしかない。

本来は、心中を納得していたのはシェフと従業員なのだが、その中で異例の存在。

それは崇高で気難しいシェフと、その客という間柄においては、唯一と言って良い信頼関係があった人物なわけです。

これは理解されたがっていたシェフと、理解したいファンという、一見して理想的でありつつも、狂った関係性を表しているというか、映画でいえば、崇高でカルト的な人気を誇る監督と、その熱狂的信者であるシネフィルのような関係性でしょうね。

ところが、マーゴを代わりに連れてきたのがマズかった。

なにせマーゴが店にいる理由は「仕事」だからで、純粋な客ではない。もし彼女が休みの日であったなら問題はないが、そうではない。

これは接客業者の復讐劇では明らかなミスなうえに、タイラーもまた接客業者への悪しき扱いを行った人物の一人。

つまりタイラーは料理好きで一流のシェフや店に恐ろしいほどの尊敬を持っており、なおかつシェフの大ファンであり計画の理解者。

しかし結局のところそれだけで、他の富裕層やら評論家やらと同じく、与えるモノに対する理解も感謝もない。

ということで処されることになったタイラーですが、シェフの逆鱗に触れて、できもしない料理をさせられた

これを「通気取りに料理をさせることで辱めるための処刑方法」という意味は当然にある。

しかし、もう一つ別の理由がここにはあると僕は考えます。

というのも、彼はちゃんとシェフの服を着せられたうえに、その服にわざわざ名前を書かれた。

そして厨房に入り、なんとカットから仕上げまでの全ての工程を行わせている。

変だと思いませんか?

超一流のシェフが素人をわざわざ聖域である厨房にいれ、シェフごっこをさせて「君の城だと思って料理しろ!」なんてことをさせるのは、むしろVIP待遇ですよ。

というか、そもそもタイラーは料理が下手なのか?彼はウンチクだけの男なのか?

という問題ですが、彼は食べた料理の材料がわかる大変なグルメです。

そして、料理の材料が何かを当てるのは、ただ料理を食べてる人間は普通できない。あれは実際に作っている人間ができる事で、彼はベルモットを隠し味に使う料理を作ったことがあると考えたほうが自然。

さらにかれはパゴジェットまで買った男。料理道具を買っただけで飾ってる人間はほとんどいない。パゴジェットを買ったのは、憧れの高級料理を自宅で再現するためと考えたほうが自然。

で、その人間が料理へたというのは少し無理がある。

そんな人間は僕は見たことがない。そもそも料理は誰でもできる。映画を作ったこともない映画好きはやまほどいるけれど、料理を作った事のないグルメなんて居ない。

さらに彼は料理を理解しようしているし、勉強もしているし、料理が好きだ。人の死よりも料理のほうが好きというイカレたやつで。ほんと厄介なレベルです。

なので、おそらく家では普通に料理を作るどころか、一般人より上手い可能性が高い。下手したら初期の美味しんぼの山岡さんみたいに自室が厨房みたいになってるかもしれない。

そしてもしかしたらですが、彼も料理人だったかもしれない。ただの想像ですが、あれだけ料理に狂ってる人間なら、料理人になろうとしても不思議ではないというか、むしろなんで普通の仕事してるやつが、料理のために死のうとしてるの?っていう不自然さのほうが大きいキャラです。

というかなぜシェフとメールを?まー深い理由はないかもですが、8ヶ月間もメールしてたそうなので、けっこうワケありな感じですね。

で、この8ヶ月という同じワードが、本作ではもう一度でてくる。

シェフがセクハラはしてた女性の部下が言ってた「8ヶ月間口を聞いてくれなかった」ってやつです。

これはもしかすると、女性に相手にされなくなったシェフが、相談のためにメールしていた相手がこの男だったということも想像できますね。というかタイラーくん、君は一体何者なのだろうか?もしかして意外とシェフの信頼を元から得ていた人物で、この地獄のメニューの発案にも関係していたのでは?

しかし

では、なぜ料理が出来るはずの彼が、ワケのわからないカットをして、熱いフライパンの柄を素手で触り、生焼けの羊肉を出したのか?

それはひとえに「プレッシャー」のせいでしょう。

突然「料理を作れ」と言われ、プランも無いまま厨房に立たされ、さらに異常とも思える程のプレッシャーを与えれば、おそらくタイラーでなくとも・・・つまり普通に料理ができる料理人だろうが失敗する可能性が高い。あれは素人ならずとも、プロすら完璧な料理を出すのが難しいレベルの行為。

格闘技で言ったら、突然「今から5対1でやれ」と言われ、本気で戦わせるくらいの事をやってると感じましたね。そりゃボコボコにされますよ。

ですが、超がつく一流のシェフであれば、これはできるんです。

常に大勢の注目を浴びながら、常に期待に答える。それも客からの視線だけではなく、従業員からも羨望の眼差しというプレッシャーを掛けられ続ける立場ですから。そもそもが、あれくらいのプレッシャーを受けながら完璧な料理を出せるのが一流ってことなのでは?

つまりあれは、同じ料理に狂ってる人間同士であるスローヴィグとタイラーの決定的な違いを表しており、「タイラーに自分と同じプレッシャーの中で料理をさせることが目的」の実演だったのではないかと考えます。ようは、一流シェフの世界の持つ厳しさを、かなり象徴的に表した実演だったのではと。

でもって、タイラーは冒頭「シェフは生命と戯れる」といった表現をしていましたが、それは大間違い。

スローヴィグが店に立つ時、戯れで料理など作らない。常に責任感と激しいプレッシャーと戦いながら料理をしていたことを知るわけです。

なら一流のシェフなら常に失敗しないのか?

いいえ、それでも失敗はします。

なにせタイラーを呼んだあげく、彼が仕事中の娼婦を連れてきてしまったという、スローヴィグの失敗がありますからね

そしてタイラーの駄作は、イレギュラーながら、きちんとメニューの一つとしてカウントされた。

これは彼を辱める目的もあるものの、一種の修行であり、何かを教えているようでもあった。

だからこそシェフは「君のせいで芸術の神秘が丸裸だ」といった。

あれはウンチクによって料理の神秘をネタバレしていくタイラーへの皮肉なのかもしれませんが、言ったタイミグが、まずい羊肉料理を食べた後で、それを作らせたのはシェフ。しかも、過剰なまでのプレッシャーを掛けて、あえて失敗スルように仕向けている。

なら、このタイミングで言う「芸術の神秘」というのは失敗、つまり完璧なふりをしているが、そうではない・・・ということではないのか?

一流の芸術家はつねに素晴らしいものを生み出す、まるで魔法のような技で・・・と思われがちだけれども、それはウソなんですよね。当然一流だって失敗する。けれど許されないのが一流。それも本人ではなく、部下が失敗することもあるが、その責任はシェフが取る。

つまり、あれはタイラーの駄作と言う名をつけているが、あくまで店の料理であると。

だからこそシェフはタイラーが店の奥に消えたあと

「今ご覧に入れた実演は今夜のメニューには無いものでした、完璧を貫こうとしても失敗する、それが現実です」

と謝罪した。この店のシェフの責任として。完璧を求められた彼のメニューの失敗をあえて「タイラーの駄作」として、彼自身に表現させ、その事についても謝ったと考えられます。

では、問題のタイラーの耳元で何事かをつぶやいたシーン。

アノ時、シェフはタイラーの耳元で何をつぶやいたんでしょうか?

こう考えると、まず最初におもいつくのは。

「君みたいにまともな料理も作れないのに、グチグチウンチク垂れ流す通きどりの素人評論家に料理なんてものはわからない!しねい!」みたいな事、実は僕は想像していません。

それも十分キツいというか、例えば映画をみて感想をあーだこーだいったり、評価をつけがちなシネフィルの皆様にとっては耳の痛い話でしょう。

けれど、あまりに品がない。この映画の空気にはそぐわないというか、狂ってはいても、一流であるシェフがそれを言うとは思えない。

そこで僕が想像したのはこれ

「私は常にこうしたプレシャーにさらされ続けている。完璧を求められている。君のようなファンからな。にもかかわらずメニューに失敗した気持ちがわかるか?死にたくなるよな?私もそうだ。それを理解したならば、君は駄作を生み出したとはいえ、人を満足させることに挑戦したシェフの一人であり、もうファンボーイではない。奪う側でもない。ただ奪うだけの人間はこのプレッシャーを知らない。そして君は最後まで私のメニューを食べさせるわけにはいかない。なぜなら君の作品をメニューの一つにするからだ。そしてメニューを失敗させた責任を取り、シェフの端くれとして、私の代わりに厨房の裏で死にたまえ」

まぁ個人的には、こっちのほうがあらゆる一流の方々がファンに対して口が滑っても発言してはならない台詞。けれど、タイラーには言える。激しいプレッシャーにさらされ、与える側の、しかも超一流の男の疑似体験をしたタイラーなら。

まず、この超一流シェフは、常に完璧を求められています。

それは期待するものが居るからであり、熱狂的なファンほどその期待は大きい。

その期待に答えようとする側と、熱望する側。

その差はあまり広く、いくらファンボーイが料理の材料を当てたり、メニューの構成に考察をめぐらそうとしたり、シェフのことを理解しようとムダな話。それどころか、その熱烈な視線がより一層のプレッシャーとなるばかり。

ただ唯一、真の理解者になるとすれば、同じ立場にたつこと。

期待する側から、期待される側にまわるしかない。

そこでシェフは、彼に料理をさせ、失敗させることで、一流のシェフの視点を理解させた上で、客の期待に答えようと挑戦した一人の料理人にしてから死に追いやった。でなければ、彼を序盤で排除する方法が無かったとも言えるし、ある種の愛情があったかもしれない。

というか、あれはどこかシェフが生意気な弟子に対して行う、この世界の厳しさを教えるための訓練にも見えるというか、通過儀礼というか、ギャングに入るためにギャングの集団からボコボコにされるのにも似ている。そう、いわば儀式だ。

こうすると、彼が最後に酷くうなずいた事も納得がいきやすいし、従業員達が死にゆくタイラーに目を伏せ、ある種の敬意が込められた仕草をしたのもわかりやすい。

なにせ、タイラーはただのウンチク野郎ではなく、自分たちと同じように、シェフに憧れ、シェフに叱責され、挑戦し失敗したこの店の料理人の一人となったのだから。

そして、迷わず厨房の裏にいって首を吊ったことも理解しやすい。

なにせ客だったら客席側でやられるか、外でやられるかですし、厨房になんて入れません。シェフとしては、よほど軽蔑しているなら厨房側でなんて死なせたくない。奪う側の連中ですもの。

それに、この映画では厨房の中に入れるのは、あくまで「接客業側」しか居ない。

タイラー以外に入れたのは娼婦として店にきたマーゴだけなのですから。

つまり、厄介なファンボーイのタイラーは、最後は接客業側として死んだ。

だから、タイラーはシェフ達からはきちんと敬意が払われている気がする。

いや、それどころか、なにか彼は昔のスローヴィクと重ね合わせて見るべき所があるというか、この劇中でスローヴィクの母親が唯一喋ったの台詞が、タイラーがコックスーツを着た時に言う

「Mr handsome boy(ミスターハンサムボーイ)」という一言だけです。

一見するとタイラーを皮肉っているような言葉。

しかしそのまま受け取れば、まるで母親が息子の晴れ着を見た時に褒め称えるような台詞。

この事から、酔っ払ってボケているスローヴィクの母親にはタイラーは昔の息子のように見えたのかもしれない。

また、考えてみれば、スローヴィクもかつては、華やかで芸術的で美しい一流料理に夢を抱いていたファンボーイであったかもしれないし、その世界入ってタイラーと似たような洗礼を受けたかもしれない。なにせ彼は最初、ただのハンバーガー屋でしかなかった。

そして、それをもう一度タイラーに施した可能性がある。いや、あの洗礼はシェフの部下たちも受けていた可能性がある。あれは多分、一流と言われる世界では普通にありえる儀式。

その儀式を受けることが出来たというだけでもラッキーともいうべきか。

マニアであり、熱狂的な自分のファンという作り手にとって最大の味方でもあり、なおかつ敵でもあるという、愛憎入り交じる存在であるタイラー。

けどそれは、料理を愛し、情熱を持っていたが未熟であった昔のスローヴィクそのものであったのかも。ファンからプロになることは、映画の世界でも、料理の世界でも、あたりまえに起きる事象。それは客には想像もつかない厳しい世界に足を踏み入れることを意味する。

そして、彼が最後にうけた辱めは、彼を客から自分の側へと向かわせる一種の儀式でもあり、彼そのものではなく、駄作でありながらも彼の料理をメニューの一つとして残したのは、自分を理解しようとし、憧れているかつての自分であり、弟子であり、息子のような存在に対する、シェフからの最後の手向けであったとも考えられるわけです。

マーゴが生き残ったのはシェフがあえて出したヒントが原因?

そして、問題のマーゴ。

彼女が生き残った理由について考察していきましょう。

といっても、彼女が生き残れた理由はもうわかっています。

そう、チーズバーガーを頼んだから。

シェフのキャリアの出発点がチーズバーガーであると彼の自室で確認し、それを思い出したマーゴがここぞとばかりに「チーズバーガー!」と言う。

これにより、狂ったシェフは突如柔和な表情となり、嬉しそうに懐かしのチーズバーガーを作り、マーゴに渡す。

そして、これをテイクアウトすることにより、店を出る。

つまり、もしチーズバーガーを頼んでいなければ、おそらくマーゴはあの店を脱出することはできなかったわけですね。

ところが、ここでやはり妙なことに気が付きます。

まず、マーゴがシェフの部屋に入った理由はなぜかといえば、そもそもがシェフに「デザートのために樽が必要だが従業員が忘れたから、それを取っ手こい」と言われたからです。

その樽をもってくるのを忘れたのが、冒頭からずっと客を案内しているアジア系のエルアという方。

そして樽をとりに行くと、なぜかエルサに襲われ、パゴジェットで頭をゴーン!

タイラーが使うことを忘れたパゴジェットをがっちり使い襲いくる従業員をヤっちゃうんですが、そもそもこの従業員が仕事をマーゴに奪われたという理由で襲おってきたヤバいやつなんですね。

もうどんだけ従業員洗脳されてるんだと思いますが、そんなエルサの最後の台詞

「樽は忘れたんじゃない!言われなかった!・・・」

で、絶命。

・・・え?頼まれていなかった?

どうも変というか、ここで疑問に思った方も多いはず。

あの完璧主義者のシェフ、さらに超教育が施されているエルサ。

それが、デザートに重要となる樽を頼まれてなかったなんて連絡ミスをやるのか?と

でまぁここで僕は「マーゴは別に必要でもない樽を取りに行かせるよう仕向けられた」と感じたわけです。

でもってシェフの自宅に侵入したのも、偶然というよりも、計算の可能性を感じたわけですが、その後彼女は例の「特別な部屋」に入るわけです。

しかも、その部屋は本来入れなかったが、エルサの持っている鍵を使うことで入れた。

そして見つけたのが、シェフの昔の写真。

そして、無線機ですよね。

ここにある無線機で助けを呼んだものの、それは罠であったが、偶然その部屋にあった写真をみて、ハンバーガーという答えに行き着いた・・・

ですが、この部屋はエルサの鍵が無ければ入れなかったんですよね。

つまりエルサが死なないと入れないレベルの場所なんで、エルサはわざわざ鍵を渡しにいったようなものです。

おまけにエルサをヤって血みどろになって帰ってきたマーゴを見ても、シェフはそのことに関してなにも言わない。

しかし、無線機のトラップが発動した後には。

「君は他の連中同様、奪う側だ」と言うわけです。

というか、もう従業員側だろうが客側だろうがどっちみち死ぬというか・・・正直これ、マーゴからしたらどっちでも良いんですよ。彼女はただ、ここから脱出したいダケなんですもの。

というか助け呼んでなにが悪いんだよ!って話じゃないですか、自由を奪ってきてんのはおまえら店がわじゃないか!!

で、ここの英語を良く聞くと

「you are eater」「you are taker」って言ってます。

これを意訳したのが先程の言葉なんですけど、なんでこんな意訳になってるかって「taker」が奪う人っていうスラングがあるからなんです。

つまり「オマエは奪う側だ!」という意味ですが、それだけの意味ではなく、eater(食べる人)とtaker(受け取る人)とも言ってるんです。

そして彼女は、あのハンバーガーショップの写真を思い出し、eater/takerという言葉の意味を考え、ひらめくわけです。

「この人、もしかしてワガママな客に、チーズバーガーを注文されたがっているんじゃ?それを持ち帰りしたらここから出られるんじゃ?」

変態プレイに答えてきた娼婦のマーゴは、彼のチーズバーガープレイを望む欲求に答えるべく、わがままで、腹ペコな客として、チーズバーガーをよこせと要求する、一種のロールプレイに挑みます。

するとチーズバーガーを喜んで作るシェフ。

できたチーズバーガーは大変美味しそうだが、量がすごい多い。

そこでテイクアウトを申し出てると、無事に店を脱出。

──さて、この場合、どこからどこまでがマーゴ自身のラッキーによって生み出されたのか?

あの無線トラップに誘導するためには、エルサの鍵が必要。

そのエルサをあの場所に向かわせたのは、もしかしてシェフではないか?

なにせエルサは樽を取りにいってこいとも言われてないし、勝手に持ち場を離れるタイプにも見えない。

マーゴが血みどろで帰ってきても無反応だったのは、彼女がエルサをヤらなければ、あの部屋の中に入ることができないと知っていたから?

そして予想通り無線トラップが発動するということは、彼女は堂々と飾られたシェフのハンバーガーショップの写真を見たと知っている。

つまり、わざとあの部屋にマーゴを誘導し、ハンバーガーショップの写真を見せようとしたのではないか?ということです。

さらにダメ押しとばかりに、マーゴの事をeater(食べる側)taker(消費者)であると言い切る。

さらにその前には、キング牧師の一節を引用し「自由を自発的に与える圧制者は居ない、虐げられたものが要求しなくては」とも言っている。

虐げられたもの。

それはシェフのことではない。

この哀れな怪物により虐げられているのはマーゴたち客側でしかないし、自由を手に入れたいのも客。

つまるところ「オレに要求しろ」てわけですね。食べる側として、消費者として、きちんと要求しろ、ハンバーガーの写真は見たろ?ならわかるよな?君は変態親父と親子ごっこのロールプレイをやったことがあるよな?なら同じようなことができるだろ、わかるだろ?この私が本当に求めっているものが何か?と

つまり彼自身がヒントを出してもいるようにも見え箇所もあって、単純にマーゴ一人で答えにたどり着いたわけではない。

これは偶然か?それともシェフの誘導によってマーゴにもたらされた答えなのか?

この一連の流れは、僕からするとシェフがマーゴに対して望むチーズバーガープレイを自ら見つけ、自由のために自分にチーズバーガーを頼めと言っているようにしか見えなかったんです。

ただしそれは、シェフが「チーズバーガーを頼め!」と要求してはダメだった。

なぜら、このシェフが求めた変態チーズバーガープレイは、あくまでマーゴが自発的に要求してこそ、はじめて成立する代物だったからです。

与えるモノと奪うモノの理想的な関係の妄想

この狂った一流シェフは、なぜチーズバーガーを頼まれてあんなに嬉しそうだったのか?

と考えると、当然それは彼がはじめて料理を作っていた頃の料理で、その頃のシェフの客との関係性はシンプルで純粋なものだったからという想像がまずある。

つまり「ハンバーガーを食べたいという客」と「求めるハンバーガーを出す」ただそれだけ。

それが、唯一不幸な天才を満たしてくれることだった。

昔のスローヴィクが働いていたバーガーショップは、きっとそんな場所で、お腹がすいた客がバーガーを求め、それをつくってやると「そうこれこれ!」とばかりにかぶりつく。

気取ったやつなどいないし、自分の料理の腕など気にしてくるモノもいない。

食いたい客と、食わせたい自分。その関係は至ってシンプルかつ健全だったのでしょう。

けれど、彼は料理を愛しすぎていた。

だからこそバーガーショップで働くのをやめた。

さらに多くの修行を積み、奥深さを探求しすぎたすえに、ついに怪物となった。

さらに賞を取り、称賛されることで、次第に変わっていった。

写真にはあったはずの妻と子供はもうおらず、常に険しい顔つきのまま写真に写るだけ。厳しい世界に生きている人間の顔だと思った。

それでも彼は高級料理の世界で上を目指し続け、技術と、才能を発揮させ称賛され続ける。

その結果、彼が出すのは普通の料理ではなくなった。彼が考えた、誰も見たことのない創作料理であり、客に注文されて料理を出しているわけではない。メニューを見て選ぶ客は一人もいない。代わりに何を食べるのか考えるのはシェフであり、彼自ら意味深なメニューを考え、そのメニューに盛り込まれたプランやげ芸術性そのものを客に提供する創作コース料理を出している超一流シェフです。

いわば、彼はただの料理人ではなく、芸術家になってしまった。

超一流のアーティストに求められているのは、欲しいモノではなく、その創造性や才能の輝き。

それは、いわば作家性を求められると言っても良いでしょう。

例えば超一流の映画監督はその部類に入るし、先程から彼を映画の監督に例えてきたのはそのせい。その才能と技術がおおくの人々に期待され、新作を作り提供する人物は、このシェフと良く似ているし、つねに激しいプレッシャーに晒されながら、期待に答えようとする修羅場を生きている。

だからこそ彼等に畏敬の念を持つ。人ならざるものを崇めるような気持ち。崇拝に似た思い。

そして、彼等のような立場の人間はゆえに許せないことがある。料理人でもないのに、そのレビュー一つで店を潰せるほどの力を持ってしまった評論家は許せないし、自分の料理の材料や拘りを理解できないやつは許せないし、プロにあるまじき連中もゆるせない。横柄な金持ちも許せなければ、悪さをして金を稼いでいるやつも、楽して良い身分になった苦労知らずも、現場も知らないのにとやかく上から言ってくる資金提供者も我慢ならなくなってくる。

けれど、従うしかない。

なぜなら彼等は、嫌がらせをしてくる客でもなければ、誹謗中傷を行うものたちでもない。

むしろ一流のレストランは、彼等がいるから成り立っている。情熱を注ぎ、複雑さに挑み、テーマを考え、一般人には理解不能な、けれども美しく奥深い料理。それを楽しみ、理解してくれるのは残念ながらマーゴではない。地位や力のある金持ちと、評論家と、料理が好きでたまらないタイラーのような人間達でしかないし、僕のような庶民や、繊細な舌も持たない人間は良い客には決してなれない。

そして期待され続けるしかない。彼等は当たり前の料理を当たり前に出すことは望まれていない。一流としてどんな見たことのない料理をみせてくれるのだろう?と常に期待の目を向けられる。

ゆえに一流の映画監督やアーティストも、人の期待に答えて生きていくことしか出来ないし、予想を越えろという最高に難易度の高い期待に応えられなければ「期待外れ」と言われるだけ。つまり、称賛の高さにゆえ、恐ろしい高さから評価を落とされる。落ちていく失望の恐怖につねに悩まされる、つねに崖っぷちの料理だ。

このあたりは、きっと何かを作り提供している作家や芸術家ほど共感してしまう部分でしょうね。どれだけ腕を磨こうとも、どれだけ称賛されようとも、何かを作り提供する側は、どこかで期待されるからこそある失望という恐怖に常に脅されながら作品を作る「奴隷だ」と思ってしまう事ある。そんな人ほど、きっとこの崇高でイカレたシェフが好きになるかも。

そしてこのシェフは、お金持ちと熱心なファンの期待に答えようと頑張っていったあげく、奴隷と化してしまい、ついに壊れてしまった哀れなモンスターであって、その全てを精算しようとしたのかもしれませんね。

そして、この映画のタイトルである「メニュー」

それはコース料理の流れを記したものであり、一連のコンセプトが込められている。ストーリー性があって、テーマがある。まるで一流監督の芸術的な映画みたいに。いや、この映画自体が一流料理店のコース料理を模していると言って良い。

そして、それは客を支配するためのもの。選択の自由を奪い、店から提供するものを受け入れさせる。素晴らしい映画を見る時と一緒だ。僕らは映画に支配されたがるし、きっと一流の料理店に行く時も一緒なのかも。そして、どんな妙な料理だろうが、意味を考えさせ食わせるし、その意味がわからなかったらレベルが低い人間のように思ってしまう。高尚な映画を見て、意味がわからないと言うことを恐れる人と一緒だ。そして店から客たちが逃げなかったのも、結局のところ「支配される事を臨んでいる」ように見える。その支配が僕は怖い。だから高級なレストランが怖いし、この映画も怖いし、勘弁してほしい。

そして、そのメニューが記された紙を客は記念に持ち帰える。今日あった出来事や思い描いた感情を振り返るため、まるで映画館のパンフレットを持ち帰るかのように。

では、ハンバーガーショップのメニューは?

それは店で提供できるバーガーの種類が書かれ、ポテトの種類がのっていて、それを客が選び、頼む。

いわゆる「普通のメニュー」であり、そこには選択の自由とその範囲が提示されているだけで、映画のパンフレットとは違うし、一流レストランのコース料理のメニューとも違う。客は選ぶ、その自由が楽しいのだ。

そして、そのメニューを持ち帰るのは「次何を頼もうかな?」と思って持ち帰る。

そして、その店がなくなればメニューは意味をなさなくなる。

それだけの紙が、普通のメニュー。

マーゴにとってもメニューはそれだけの価値しかなかったから、店が燃えたあと、意味がなくなった紙で口を拭いたのだと思う。あの店のメニューは、マーゴにとってはパンフレットにはならなかった。

そんな普通のメニューがある庶民的な店の料理人が提供しているものは映画のようなストーリー性のあるコース料理ではない。彼等の才能や芸術性に高い期待されているわけもなければ、技術力を称賛されることもめったにない。

それでも彼等は自分が提供できる範囲を示し、その中から欲しいものを注文され、それに応えて精一杯の料理を出して、お腹をいっぱいにしてもらう。

その結果料理人が得られる喜びは「奉仕の幸せ」

それはまるで、親が子供に「なにが食べたい?」と聞いて「カレー!」と言われ、つくったカレーを子供が美味しいと沢山食べてくれた時の気持ちに近いかもしれない。美味しいと言ってもらえなくていいんです、味わってくれなくてもいい、ただ夢中で食べて、お腹いっぱいになってくれさえすれば。

そして思い返すと、スローヴィクとマーゴの関係はどこか父と娘のようでもある。

そしてマーゴは女子トイレでタバコを吸ってる時、勝手に入ってきて「なぜ食べてくれないんだ!」「プライドが傷つく!」と言っていた彼はイカレているのと同時に滑稽で、とても客の前で魅せる顔ではなく、我が子に自分の料理を食べてくれと懇願している親のようにも見える。

それに対するマーゴの反応は「お腹がすいてないから」というのも、まるで反抗期の不良娘が料理もたべず部屋でタバコを吸っているところに勝手に入ってきた父親が「ご飯食べろ!」といってきたので、そっけなく返すような反応みたいで、ちょと面白い。

それに、スローヴィクは、どこかで彼女を娘のように見ていたのかもしれないのは、彼の昔の写真に写る子供は女の子で、幼い頃の写真しかないのは、きっとどこかで妻や子供との別れがあったのだろう。

そして、最後にチーズバーガーを頼む時、マーゴは「料理に愛情が籠もっていない!」と言って癇癪を起こしているかのような演技をみせる。

でも普通、料理の評価で愛情がどうとかは言わない、愛情は料理に形としてなど現れない。というかそもそも、マーゴはシェフの料理を一回も食べてないのだ。

けれども、唯一それを言う可能性があるのが、親が作る料理を自分の言うとおりにしてほしい・・・つまり、そこに愛情を求め餓えていて、作り置きの冷めた料理ばかりの夕飯に不満をもっていた子供のようなのである。

つまり、これは恐らくただのチーズバーガー要求プレイではなく、「スローヴィクの娘として彼の料理を否定し、愛情の籠もったチーズバーガーを要求する」ロールプレイを行っていたと思う。

そう、マーゴがかつてやったという「親子のようにふるまうロールプレイ」のチーズバーガー版。それも、料理人である父親と、客である子供という設定だ。


この時のスローヴィクは、とてもうれしそうなかおをして、より具体的に彼女の要望を聞く。自分の料理が否定されたのに、口に笑みを称えていた。

けど、それが自分よがりな料理をおしつけて失敗していたスローヴィクが、ようやく娘の口から出た「これが食べたい!」に嬉しくなって、それに答えよう必死な様子にも見える。

そしてマーゴも具体的に何が食べたいかを応えていく。わがままだが、明確に。

それから嬉しそうにスローヴィクはチーズバーガーを作った。

彼の思い出の料理であり、それを求めダダをこねる自分の子供のような客が今目の前にあらわれた。それが演技であっても、彼はよかった。

そして作った昔ながらのチーズバーガーを嬉しそうに作る。

きっと彼も貧しい世界の出身だったろうし、マーゴもそうだろう。貧しき人々が週末を楽しむためにギリギリ買えるような、最高のごちそう。

でもそれは、本当はスローヴィグが娘に対して作ってあげたかった料理かもしれない。

けれど、ここで彼はミスをした。いや、わざとかもしれない。

だけれど、食べきれないと言われた時のスローヴィグの顔をみると、やっぱり本当にミスをしたように見える。

そのミスとは、コースを通して最終的に客が満腹になるか計算できると言っていたはずのスローヴィクが、たった一皿にもかかわらず、痩せた成人女性が食べ切れないほどの量を出してしまったこと。

誰が見ても量が多い山盛り感。笑ってしまったのは、とくにポテトが多いこと。あれは僕でもお腹がいっぱいになりまくる。

でも、それはまるで、なかが空いた娘にいっぱい食べてもらおうと、嬉しくてつい作りすぎてしまった父親のようでもあった。

それが、きっと与える側と、奪う側の最も幸せな関係性を表した料理だと僕は思った。

なにせ僕は、飲食店が親と子のロールプレイが行われる場所と時々思うことがある。

僕は飲食店で働くおじさん、おばさんが好きだが、それは大好きな映画やアニメの監督や、素晴らしい漫画家のように尊敬し、称賛するような気持ちではない。

かといって蔑んでいるわけでもなくて、それはどこか父親や、母親をみているような気持ちに近いんです。

なにせ、食べ物を与えてくれる人間は、自分の命を守ってくれる人間。

映画監督や漫画家を尊敬しているが、映画をみても漫画をよんでも腹は膨れない。

その腹を満たしてくれる、美味しい料理を作ってくれたのは自分の親だったからこそ、父や母の影を見るのかもしれません。

でも、一流料理店の凄腕シェフであれえば尊敬の念もさすがに抱くだろう、あのファンボーイみたいに。

けれど、僕が普段行く店はもっと安いし、とにかく量が多い。

定食でもすごい量で、おまけに安い。

そこで「なんでこんないつも量多いんですか?赤字になってません?」と聞いてみたことがあるが、店のお母さんは笑って「いやいや!アンタらがお腹いっぱいになったかいつも不安になちゃって!」と笑った。

そう言われた僕も笑うしかなかったが、そこには小さな感謝があって、暖かさがあって、ありがたみがある。自分の腹具合を心配してくれる人が居る。それは、もはや愛されているに近いと思う。

そんな感情を抱かせてくれる。だからこそ、僕が普段よくいく、汚くて安い飲食店はどこか家庭のロールプレイを行うような場所にも思える。

そのロールプレイに対して、僕はもしかしたらお金を払っているかもしれないし、シェフが死ぬ前に求めたのも、そんな家庭のロールプレイとなる、庶民的でシンプルな接客業の世界だったのでは?と思ってしまう。

与える側と、奪う側。

接客業とその客。

もしくは映画と、その視聴者。

それは、貴族と奴隷のような関係にいともたやすく置き換えられる。

しかし、本当にその関係で幸せになれる間柄は、もしかしたら親と幼い子のように、わがままで、純粋で、餓えたものは幸せを感じ、与えた側も幸せを感じるような、そんな関係こそが幸せな間柄なのではないかと感じた。

けれど、それはきっと奇跡みたいな出来事に近い。

多くのプロの世界では、きっとこれからも、不幸な関係性は続くし、それが大半だと思う。

とくに一流の芸術家と言われるような人たちにとっては、あまりに遠い幸せだし、一流の映画監督と客の間という関係性においては余計にだ。

けれど、そこにもたまには街の飲食店と客のような、シンプルな幸せがあれば良いなと願う。

ところで僕は、これでようやくこの映画に満足しました。

だって、ザ・メニューを見ただけで満足とはいかなかった。考えて、納得がいって、はじめて満足できる類の映画だったからだ。

だけど、次はチーズバーガーみたいな映画を見たいと思う。

こういうのも好きだけど、僕が本来好きなのはバカげたB級映画であって、こういう高級料理店のコース料理みたいな映画はなかなか肩が凝ってしまって。

というわけでお腹いっぱいなんで退店しても良いですか・・・まて、なんだこの帽子は!焼きマシュマロ!やめろ!火をつけるなおい!イカレてんなこのシェフは!はいパン!手パン!やめろ!聞こえてないのか!やめろ!

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